院長の「JoJoブログ」

萩往還マラニック

2013-05-05 21:57:07投稿

毎年恒例の”萩往還マラニック大会”が、このゴールデンウイークにも開催された。この大会、今年で25回目で、国内のウルトラマラソンランナーたちのあこがれの大会と言われ、知る人ぞ知る、ツワモノ達がエントリーしている。

「萩往還」とは、毛利輝元が萩城築城後に山陰と山陽を結ぶ参勤交代道として開いた道で、城下町萩と瀬戸内の港,三田尻(防府市)をほぼ直線で結ぶ全長約53kmの街道だ。しかし、山越えの険しい道であるが故いつしか姿を消してゆき、一部は廃道となっていたところ、この貴重な古道や史跡を後世へ伝えようと、昭和56年から63年にかけ沿線の市町村が中心となって保存整備を行い、歴史の道「萩往還」として復元された。
平成元年には国の史跡に指定、さらに平成8年には文化庁から「歴史の道百選」に選定され、その道を全国に広めようと始まったのが、この大会ということだ。

マラニックというのは、マラソンとピクニックをかけた造語で、楽しく、ピクニック気分で、長い道を走るときに使われているが、はっきりいって、このレース、とても楽しくピクニックというようなものとは、かけ離れている。

コースは、35kmのウォークの部、12時間制限の70km、24時間制限の140km、48時間制限の250kmの部とあり、35kmの部は、楽しくピクニック気分も味わえるかもしれないが、他は、基本的に走らなければならず、ただひたすら、限界への挑戦としか、思えない。
すべての部門のゴール制限は、5月4日の午後6時。35kmと70kmは5月4日朝、140kmは3日の午後6時、250kmは2日の午後6時にそれぞれスタートする。距離の長いのもさることながら、夜を徹して山道を走り続けるなんぞ、何が悲しくて・・・と一般人は思う。

3年前、我が家のすぐ近くの国道を夜にライトを身につけて走る人々を目撃したとき、こりゃいったい何の集団?と思ったけれど、それがあの萩往還だと知ったのは、次の年だった。防府市に住んで13年になるけれど、ランニングにも興味なかったし、そんな大会があるなんて、まったく知る由もなかったし、その過酷なレースの内容を知ってからも、まあ、私には縁のない話と思っていた。

しかし、今年は違った。
ランニング仲間が、何人もエントリーしているのだ。
そして、140㎞の部だけだけど、我が家のすぐ目の前をみんなが走るので、これは、応援をしないわけにはいかないと、自宅そばの国道ぞいに、私設エイドを出すことにした。

我が家の近くを通るのは、25kmと32kmのあたり。140kmのコースのまだまだ序盤。ただ、午後6時にスタートして真っ暗なので、少しでも選手の気がまぎれると思い、キャンプ道具を並べて、道行く選手にフルーツその他をふるまうことに。
おそらく午後8時半くらいにトップ選手が通るだろうから、8時ごろから準備しようと、知人と準備をはじめたところ、8時10分頃にトップの選手がひとり通過。まあ、私のマラソンの速度より明らかに速い。当然、エイドによることもなく、片手をあげて、通りすぎていかれた。「はやい~」
その後、かなりたって、2位以下の人々が通りすぎていき、10番目あたりの人から、エイドに寄ってくれるようになった。「フルーツどうぞ」「いただきます」
その後、午後10時半くらいまで、その場で、用意した、フルーツ、梅干し、味噌汁その他お菓子や、飲み物など、500人の参加選手のうち、200人くらいは寄ってくれたのではないかと思う。
思った以上に大変だったけど、夜中中、今から100km以上走らなければならない選手たちに、少しでも喜んでもらい、こちらも楽しませてもらった。
そして、応援していた、知り合いのランナーが、翌日無事ゴールしたことを知り、とてもうれしく、そして、その限界への挑戦に感動。
70㎞に参加した人々からは、ぜひ来年は出場してくださいといわれたけれど、ちょっとそれは・・・
でも、いつかは・・・
きっと、来年も、我が家の前で、またエイドを出していると思う。