院長の「JoJoブログ」
お風呂
2021-01-09 23:47:13投稿
2か月くらい前から、我が家は風呂トラブルに見舞われている。
トラブルというよりも、経年劣化でしかないのだが、困っているという事実にかわりはない。
現在の自宅は、2002年2月に建てたもので、もうすぐ20年目に突入するので、色んなところにガタがきても仕方ないのは百も承知。
20年前には、最新の設備満載だった、我が家のユニットバス。住宅メーカーのお勧めに従って、あれもこれもついているのがいいと、ジャグジーにもなるし、ミストサウナにもなるし、テレビもついているし、風呂の外においているレコーダーやラジオの音も聞けるし・・・と今となってはどうでもよい機能だらけの風呂。20年前にはインターネットは有線しかなかったし、テレビはアナログだったし、で、その当時はよかったけど・・・
はっきり言って、ジャグジーやサウナは何の意味もなかった。そのことは、住み始めて数か月以内には感じていた。要するに、家庭用のユニットバスについているそれらは、温泉施設のものなどに比べると、ちっぽけでパワーもないので、全く実用的ではなかった。我が家に泊まりに来る人に「ワーッ、すごー」と言ってもらう以外の役目はなく、当然、家族のだれも使うことがなく、月に1回、動きを確認する程度の使用のみ。地上波テレビについては、デジタル化されるまでは、お風呂時間=テレビタイムで、よく使ったけれど、デジタル放送に移行してからは、何の意味もなくなった。音楽が聴けるスピーカーについては、風呂の外の機器を用意する必要があり、テレビを見ていれば、音楽は聴かないので、20年間、一度も使用しないまま。そうこうするうちに、世の中は、Wifi時代、タブレット時代となり、スマホも防水なので、音楽を聴きたければ、携帯持って入ればいいし、キッチンに置いているポータブルテレビも、防水なので、どうしても風呂で観たければテレビ持って入ればOK。
そんな、わけのわからない機能はついていても、あったらよかった浴室乾燥機はついておらず、何とも後悔だらけの高級ユニットバスだが、数年前から、風呂の中の蛍光灯が、新しいものに付け替えても、なかなかつかなくなった。スイッチをいれて、2本の蛍光灯のうち、1本が付くまでに1-2分。2本目は、風呂からあがろうかという頃になってやっと点灯し、明るくなって初めて2本目が点いていなかったことに気づくこともしばしば。というより、1本しか点かず、暗いままで風呂からあがることにも慣れてしまった。まあ、1本つけば、とりあえずの入浴は可能なので、それほど不便は感じていなかった。
ところが、2か月前から、翌日までためたままにしていた湯が、次の日までに抜けてしまうようになった。初めて気づいた時は、自分が湯を抜いたのを忘れていたのかと思ったが、2日続くと、これはいかんとなった。夜11時ごろ風呂から上がるのだが、翌朝6時には、底から10cm位しか水が残っておらず、夕方には完全にカラ。これは、栓の問題だなと、風呂底の栓をみると、ゴム製の縁が朽ちてボロボロになっていた。いわゆるパッキンの劣化なので、パッキンだけ替えればいけそうだなと思ったが、総合的に考えると、もうこの風呂とこれ以上付き合うのは限界という結論に達した。家族と相談のうえ、風呂自体のリフォームをしようということにして、それまでは、何とか水を節約して頑張ろうということになった。
風呂の湯が1日しかもたなくなったころから、家庭の事情で、ほとんどの日は、私一人しか風呂に入らないことになった。1回入るたびに湯をすべて入れ替えるのはいかにももったいない。湯をためず、シャワーだけでもいいのだけれど、北半球は寒い冬に向かってまっしぐら。結局、一度湯をためて、ゆっくりつかって体が温まった後は、洗面器で湯船の湯をかける昭和方式で、入浴することにした。
思い返せば、6歳まで住んでいたアパートは今はなき五右衛門風呂で、外から薪をくべるタイプだったし、6歳から13歳まで住んでいた建売の小さな家は、脱衣所もない1畳もないガス風呂で、当然、シャワーなどはなかった。13歳以降の実家は給湯式の風呂になったけど、学生時代のアパートは、洗い場がなかった。
それを思えば、多機能バスに文句をいうなんて、なんて贅沢な。少しは、昔を思い出して、シャワーなしで過ごしましょうと、ひたすら、手桶で湯をくんで体にかける。髪を洗って流すのも、湯船のお湯。寒いし、お湯はいっぱいあるしで、1回の入浴で、100回?くらいお湯をくんで、何とかお湯の深さ10cm位になるまで使う。お湯くみ入浴を3日くらい続けたころ、右手の手のひらから手首にかけてズキッとする痛みを覚えるようになった。痛みの原因がこのお湯くみであることにきづいたのは、その3日後くらい。普段、ジョギングなどで、足腰は鍛えているつもりだけど、腕の筋力、握力は全くない私。その日から、利き手でない左手でもお湯くみをすることにした。
毎日の両腕の筋トレも板についてきたころ、年が明け、極寒の夜がやってきた。防府市内が-5℃まで冷え込んだ昨夜。水道管は凍結しなかったけれど、給湯器が凍結しついに風呂に入れなくなった。
この風呂と決別する決心はゆるぎないものとなった。