院長の「JoJoブログ」
森会長の辞任に思う
2021-02-20 23:39:13投稿
今月の初めに、森喜朗元総理大臣の「女性は話が長い」発言から、性差別問題がクローズアップされ、スポーツ界だけでなく、世界中に日本社会の問題をさらけ出すことになって、色々と考えさせられる毎日が続き、このブログを更新する気になれないでいた。
自分自身、性差の問題については、思春期のころからいつも気持ちのどこかにくすぶるものがあって、何が正解かもわからないまま、今に至っているように思う。
私の両親は、戦前生まれであり、高度経済成長期の真っただ中に私を育てた世代。女の子は良妻賢母になるのが一番という考えから、女の子でも、手に職をもたないとこれからはダメだという考えを持つ人も増え始めたころだ。実際、私自身は、手に職をという点では、家族や親せきに国家資格を持った人など一人もいなかったため、医師というのは、手に職の最たるものだといわれ続けて10代を過ごした。一方で、女の子は料理や裁縫もできなくてはいけないと、小学生のころから台所に立たされてもいた。中高一貫の女子高で進学校だった6年間は、男子と比べることがないまま、少数派の理系を選択し、医学部に入ったけれど、大学に入ってみると、見事に周りは男子ばかり。自分が女性であることを意識せざるを得なかった。医学生時代、仲のいい友達は女子よりも男子が多く、一緒にトイレにまで行くようないわゆる女子同士の付き合いというものをしたことはなく、学年の21人の女子の中でも異色だったと今でもいわれる。そんな自分なのに、卒業して、男社会に出ていくために、女性であることを利点にできるのは、産婦人科しかないと思い、仕事内容はハードだったけど、最終的に選択したのは、女性だけの患者さんの科で、結局、性差を利用したんだと思っている。医者になってからは、研修医のころは言うに及ばず、10年選手になってからも、病院で白衣を着て、医師の名札をつけていても、「看護婦さん」と呼ばれる日々。医者は労働者じゃないからとか、医者に産休育休はないからとか、今になって思えば、明らかにあれはセクハラ、パワハラ、マタハラだったよなといえる体験は数知れず。ただ、そのころ、そんなカタカナ語は日本社会には存在しなかったので、ちとおかしいよなと思いつつも、受け入れざるをえず、がむしゃらにやってきた気がする。世界基準からは、相当遅れているといわれている、女性の地位が低い日本という国も、医師として私の歩いてきた30年でも、かなり変わってきているのは確かなので、これからも変わっていくのは間違いないと思う。
けど、どういう方向に変わっていくのが一番よいのか。男女の違いは、あくまでも生物学的なものだけであって、社会的な面、頭脳的な面は、何もかわらないのは確かだけれど、男系一筋で1000年以上も続いてきた皇室の伝統、日本独特の文化もまた、受け継がれていくためには、何もかも男女同じということにはならないんだと思う。男女に関係なく、どういう社会が一番いいのか、女性だけを診療する毎日の中、橋本聖子会長の就任に期待しながら、自分の中の心の模索は続いている。
そんな模索の中、今月読んだ本。いずれも、色々考えさせられる内容のものばかりだ。
国対委員長(集英社新書) 辻元清美
消えたお妃候補たちはいま(ベスト新書) 小田桐誠
オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る (プレジデント社)オードリー・タン
日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?(光文社新書)山田昌弘
日本の天井 時代を変えた「第一号」の女たち(角川書店) 石井妙子