院長の「JoJoブログ」
安全・安心
2021-06-12 23:04:43投稿
安全・安心な大会を…
この数か月、ニュース番組などで、何度この言葉を聞いたことだろう。いうまでもなく、オリンピックにむけた、政府の対応として馬鹿の一つ覚えのごとく繰り返されている文言である。
このブログでは、政治に対する意見を書かないというポリシーなので、菅総理の対応について、とやかく言うつもりはないのだけれど、安全とは何か、安心とは何かということを、考えてしまうことがある。
何故かというと、診療をしていると、ほぼ1日1回は、患者さんから「安心しました」という言葉を言っていただくからである。
がん検診を主な仕事としているので、診察後、「今日の検査では、異常ないと思いますよ」などと伝えることが多い私。
「そう言ってもらうと安心です。」「これで来年まで安心できます。」などのように患者さんが言ってくださると、私自身も、”安心”してしまうのだけれど、ふと、ホンマかいな?と思ってしまうことも・・・
検査に完全はないので、がん検診で異常ないからと言って、100%がんではないということではない。ウイルス感染症検査の精度だって、検査によっては、偽陽性、偽陰性率が結構高いものもあり、実際には安心できるのかどうかは定かでないからだ。
ただ、患者さんは、とりあえず”安心”して帰りたいと思っているのは確か。がん検診に限らず、何か症状があって心配してこられた患者さんについても、原因がわかって”安心”するケース、病気であっても、治る見込みがついて”安心”するケースなど、医者の仕事は患者さんに”安心”してもらう仕事なんだなとつくづく思う。
逆にいうと、”心配”や”不安”を与えてしまって、不信感を抱かれることがあるのも事実。だって、医療に100%はないのだから…とこちらの立場としては言い訳をしたいのだけど、治らない病気、診断のつかない病気、診断しても、理解してもらえない病状など、様々なケースがあり、なかなか難しいと言わざるを得ない。患者さんすべてに安心を与えることはできないのだけど、医者をやっている以上、少なくともクリニックに来ていただける患者さんについては、そこに向かって努力する以外にはない。
オリンピックの話に戻ると、とかく批判をかいがちな神戸大学教授、岩田健太郎先生の著書には、この、政府の「安全・安心」というフレーズに対し、
【断言口調で、ワンフレーズにし、結論めいたものだけをメッセージぽく伝えているだけで、「分かりやすい」のではなく、「分かったっぽい気分になる」だけ】
と書いてある。安全とは何か、安心とは何かをそれぞれよく考えてみると、コロナ禍でオリンピックを開催することは決して安全ではないし、どのように対策をしても、すべての人が安心するはずはないのに、何となく、大丈夫そうな印象を与えてしまう「安全・安心な大会を開催します」というコトバ。
大会が開催されることは、ほぼ確実になってるみたいだけれど、「安全・安心」だったといえるのは、2か月先のことで、神のみぞ知るとしか言いようがない。そして、今は、直接大会に携わらない庶民はその神に「安全・安心」を祈るのみ。