院長の「JoJoブログ」
回天の島
2023-08-15 23:11:59投稿
お盆休みを利用して、瀬戸内海に浮かぶ、回天の島、大津島に行ってきた。
徳山港から、船で20分、大津島の馬島港に到着。真夏の炎天下、日傘なしではつらい中、てくてくと歩く。
回天は、昭和19年、日本の戦況が悪くなってから、日の丸飛行隊と同じように作戦としてたてられた人間魚雷で、20歳前後の若者たちが自ら犠牲になって、敵に向かっていったという悲しい歴史の一つ。
鹿児島の知覧特攻平和会館には、6年前に行っているけれど、山口県内にあるのに、回天記念館には、行ったことがなかった。県民の一人として、一度は訪れるべきだけど、知覧ほど大きくないし、なんせ、船しか交通手段のない小さな小さな田舎の島にあり、観光バスが行くこともない、ひっそりたたずむ戦争博物館なので、ついでに行くような所ではない。今回、帰省した息子が行っておきたいというので、一緒に出かけていくことになった次第。
港に着くと、一緒に降り立った10人程度の人が何となく歩く方向へついていくことにする。200mくらい歩いたところで、回天訓練基地跡と、記念館への道の分岐があったので、とりあえず、海側の訓練基地の方に行くことにした。そこには、魚雷を運ぶためのトロッコのレールが敷かれた跡があり、海沿いの山を掘ったトンネルが続いていた。
トンネルを抜けると、青い海につきでた、訓練基地が戦時中のままの形で残されていた。そこは、発射場ではないけれど、数か月の訓練を受けたのちに、本番をむかえて最期の旅に出る若者たちが集っていたかと思うと胸が痛む。
その後、トンネルを引き返して、今度は少し坂を上って、記念館へ。
知覧の平和会館をコンパクトにした感じだったけれど、知覧の時と同じように、戦士たちが残した手紙がたくさん展示されており、その達筆のレベル、日本語の文章のレベルの高さに切ない気持ちになる。どれだけ優秀な若者たちだったのか・・・彼らがみな生きていれば、とれだけ日本の発展に貢献してくれただろうかと、考えれば考えるほどつらくなる。
小さな記念館なので、30分もいれば、一通り見ることができ、胸の締め付けられる思いを引きづりつつ、外に出た。
炎天下をまたてくてく歩き、昼食を食べて、13時発のフェリーに乗るつもりで港に帰ってきたけれど、何と、おそらく島に1軒しかない飲食店はお盆休み。店らしい店、もちろんコンビニなどあろうはずもなく、あるのは、飲み物の自販機のみ。もう少し暑くなければ、島を歩いて散策したかったけれど、なんせ、天気が良すぎる暑すぎる。
残された選択肢は、港の待合室の畳の上で、1時間半を過ごすこと・・・
平和について考えることになったお盆休み。もうちょっと下調べをしておくべきだった。